こんにちは。人材サービス総合研究所の水川浩之です。

今日は、「第3回労働政策審議会条件分科会・職業安定分科会・雇用均等分科会同一労働同一賃金部会」(以下、「同一労働同一賃金部会」)にいってきました。

先週、金曜日5月12日の第2回から2営業日という早急な展開です。

今日の同一労働同一賃金部会では、労働者派遣について議論が始まりました。

場所は、経済産業省別館11階。厚生労働省の狭い会議室よりもマシなのかもしれませんが、それでもギュウギュウ詰めの満席で、最初の1時間半まではなんとか集中力が保てたものの、2時間ぐらい経つと明らかに酸素が薄くなり、意識が朦朧としてきました。

論点はパートタイム、有期と同じ

「論点(案)派遣労働者関係」として示された論点は、「1. 労働者が司法判断を求める際の根拠となる規定の整備関係」「2. 労働者に対する待遇に関する説明の義務化」「3. 行政による裁判外紛争解決手続の整備等」「4. その他」で構成され、第1回、第2回のパートタイム、有期と同様です。そのうち今日の議論は1と2。劣悪な環境の中、2時間45分という長丁場でした。

3法一括改正ということなので、論点も同じものになりますが、いつものように派遣労働特有なこともあり、パートタイム、有期のときよりも激しい議論だったと思います。

ここでは、細かいところまですべてをカバーできないので、全体を俯瞰した感想をお伝えしようと思います。

苦しい事務局の答弁

これまでも何度かお伝えしましたが、まず印象に残るのがこの同一労働同一賃金のスジの悪さです。

そもそも、労働者保護から発したものではなく、経済対策に格差是正を織り込んだもののため、いたるところにスッキリしないところがあります。

そして、首相官邸で進んだ働き方改革実現会議の実行計画と同一労働同一賃金ガイドライン案によって、すでに一定の枠組みがはめられているので、結論に合わせて議論が進むという不思議な感じもあります。

これまでのように厚労省で専門家の検討会などの議論がされ、労働政策審議会で建議されるという流れとは異なり、先に官邸主導で結論が示されてからという手順は、事務局にとっても苦しいのだろうということを感じます。

ただし、これまで労働政策審議会で決められるべきものが決まらなかったから、業を煮やして官邸主導でということもわからなくはありません。「政策」審議会でありながら「事後的な」審議会に終始しているフシがあるということでしょう。

これについては、そのような背景のもとに今の議論があるのだということを認識しておく必要があるということにしておきます。

派遣先均衡か派遣元労使協定か

「1. 労働者が司法判断を求める際の根拠となる規定の整備関係」については、事務局から「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善か、2)労使協定による一定水準を満たす待遇決定による待遇改善かの選択制とすることが適当ではないか」と示されています。

これまでのブログでお伝えしてきた表現で言えば、1)は同一企業内の「同一労働同一賃金」、2)は企業横断的な「同一労働同一賃金」です。

労働側はこれについて「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」が原則であると繰り返しています。

一方、そもそも「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」は制度上そぐわない、派遣先均衡は現実的ではない、同一業務がまったくない場合も多いなどの意見も多く、法律になるときの書きぶりが、まず大きな分かれ目になりそうです。

現実に沿った法規制を

簡単に言うと、「Aが原則でBがオマケ」と書くのか、「AかBのいずれかを選択」と書くのでは、裁判になったときの扱われ方が違うということです。

人材サービス業界の皆さんであれば、A、つまりここでは「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」は現実的ではないということはわかると思います。

裁判で、現実的ではないものが原則とされ、オマケのことしかしていないと言われても困りますよね。

当たり前のことですが、現実に沿った法規制でなければ機能しません。

「Aが原則でBがオマケ」でも「AかBのいずれかを選択」でも、「BもOK」ということに変わりはないのですが、裁判上は法律にどう書かれているかということによって大きな影響があるので、細かいようですが目が離せないところです。

過剰な情報提供はサービスを利用しづらい

「2. 労働者に対する待遇に関する説明の義務化」については、過剰な情報が求められると派遣サービスを使いづらくなる、比較対象となる正社員がいない、そもそも賃金制度は公開していない、出せる情報に限度がある、虚偽があった場合はどうするなどの意見もありました。

その通りだと思います。前述のようにそもそも「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」に無理がある中で、使用者側の派遣先企業が精緻な説明を求められても難しいものがあるということでしょう。

パートタイム、有期雇用と足並みを揃えるということが前提にあるので、「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」を記載することは、ある意味やむを得ないのだろうと思います。

しかし、「1)派遣先の労働者との均等・均衡による待遇改善」には、現場の実態を踏まえて欲しい、現実問題として無理と言った声もあり、本来はむしろ「2)労使協定による一定水準を満たす待遇決定による待遇改善」が原則になるような話だと思います。

労使協定なのか労働協約なのか

「2)労使協定による一定水準を満たす待遇決定による待遇改善」については、労働側が、労働協約(労働者側の当事者が労働組合(過半数要件なし))であることが原則と主張していることに対して、これに限定せず労使協定(労働者側の当事者が事業場の過半数を組織する組合または過半数代表者)で決定ということに落ち着きそうです。

ただし、過半数代表者にしてもその選出方法や期間などについても検討を要するとの議論で、施行までの間にもさらに議論が続きそうです。

現実的に労働組合の組織率が17%の状態で、労働協約が原則と言ってしまうこと自体に無理があります。

一貫して言えることは、現実味がない議論が白昼堂々?と行われるということに違和感があります。

常用代替防止と整合的?

使用者側からは、労使自治に最大限配慮をすべきとの指摘があったうえで、常用代替防止とこの同一労働同一賃金は整合的なのかという質問もありました。

ここにも亡霊のように現れる常用代替防止ですが、事務局からは苦しい回答がありました。とりあえず整合性があるそうです。

実際には常々、労働側が常用代替防止が基本原則と言っているものとは相反するもののように思いますが、いずれにしても実態と乖離しているように感じます。

ちなみに本日の資料はコチラです。

ガダルカナルと派遣労働

まったく関係のない二つを持ち出して恐縮ですが、皆さんは「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」という本をご存知でしょうか。

ここでは戦争を賛辞するものでも、非難するものでもありませんが、この本はなぜ日本が第二次世界大戦で負けたのかを客観的に分析した組織論の名著として知られています。歴史ものでも、戦争ものでもなく、ビジネス書としてバイブルとさえ言われているものです。

この中に陸軍が惨敗したガダルカナルの戦いのことが書かれているのですが、つい最近、東芝が失敗したのがこのガダルカナルと同じだというコラム「東芝大失敗の研究 〜組織は「合理的に」失敗する まるで旧日本軍と同じ…」を読み、労働者派遣も同じ徹を踏んでいないかと思い当たりました。

例えが相応しくないかもしれませんが、今日の議論を聴きながら、さらに同じことを感じてしまいました。

労働者派遣法の議論では、特に2000年代中盤ぐらいから、現実的ではなく、実態と乖離している議論がずっと続いているように思います。

このコラムの「東芝」を「日本」に読み替え、「原発」を「派遣法規制強化」、「ガダルカナル」を「日本型雇用慣行」とすると、恐ろしいほど我が国は失敗に向かって歩んでいるような気がするのです。

これは「同一労働同一賃金」の議論だけに限りません。「マージン率開示」も「日雇派遣原則禁止」もそうです。雇用の流動化が求められる中、成功体験から離れられず日本型雇用に執着していること、分厚い中間層の幻想を抱くこと、すべて合理的な不条理です。

日本という組織が失敗しないように是非とも現実に即した議論をして欲しいものです。

東芝大失敗の研究 〜組織は「合理的に」失敗する

まるで旧日本軍と同じ…(現代ビジネス 2017.5.13.)

菊澤 研宗  慶応義塾大学商学部教授

東芝問題とガダルカナル戦の類似性

どんなことがあっても絶対につぶれない会社の1つだといわれてきた東芝が、いま、危機的状態にある。

その主な原因は、東芝の原子力発電事業への関わりにある。

風向きが変わったのは、福島原発事故であった。これを契機に、原発事業はもはや利益を生み出す事業ではなくなっていた。これを察知したゼネラル・エレクトリック(GE)をはじめとする多くの企業は、すぐに撤退しはじめた。

しかし、その後も、東芝はこの事業に関わり続けた。だが、結果は予想通り、好転しなかった。

東芝は損失を出し続け、いまだその損失額さえ確定できず、決算も不透明。まさに、東芝はいま危機的状況にある。

このような状態になる前に、なぜ方針を変え、原発事業から撤退しなかったのか。

東芝の経営陣は、当然、選ばれた非常に優秀な人たちである。ある意味で、普通の人たちよりもはるかに優秀な人たちであろう。それにもかかわらず、なぜ儲からない原発事業に固執しているのか。彼らは、無知で非合理的なのだろうか。

実は、この同じ現象が、太平洋戦争のガダルカナル島での日本軍の戦いでも起こっていた。

この戦いで、日本軍は、近代兵器を具備した米軍に向かって、銃剣で敵に突進するという日露戦争以来の非効率的な白兵突撃戦法を繰り返し実行した。

その結果、日本軍は米軍に撃滅され、大量の日本兵が無駄死にした。

当時の日本軍の上層部は、非常に優秀な人々であった。それにもかかわらず、なぜ非効率的な白兵突撃戦術に固執し、撤退しなかったのか。彼らは無知で非合理的だったのだろうか。

実は、そこには、共通の合理的メカニズムが存在しているのである。つまり、彼らは合理的に失敗したのである。このことは、最近、発売された拙著『組織の不条理』(中公文庫)で詳しく分析した。

不条理発生の合理的メカニズム

合理的失敗という不条理現象を説明する理論が、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースとオリバー・ウイリアムソンによって展開された取引コスト理論である。この理論では、すべての人間は不完全で、限定合理的な存在であり、スキがあれば利己的利益を追求する機会主義的な存在として仮定される。

それゆえ、見知らぬ人同士で交渉取引する場合、相互にだまされないように不必要な駆け引きが起こる。このような人間関係上の無駄のことを「取引コスト」という。このコストは、会計上に現れないという意味で見えないコストである。この取引コストの存在が、次のような不条理を生み出すことになる。

たとえば、いま、ある企業が伝統的な製法で商品を製造しているとする。この企業は、その伝統的製法に高い価値を見出し、その伝統を守るために特殊な設備を購入し、従業員も伝統的な技術や知識を長年にわたって習得してきた。

ところが、いま新しい科学的製法が出現し、より高品質で安く商品を製造するライバル企業が現れた。このとき、この企業は伝統的な製法をすぐに放棄できるだろうか。

この場合、たとえ現在の製法が非効率的であったとしても、それを放棄することは難しいだろう。というのも、経営者はすでに特殊な設備に多額の投資を行っており、従業員も特殊な技術や知識を習得するのに、何十年もかけているからである。

それゆえ、伝統的製法を放棄して新製法へと移行すれば、彼らはお手上げ状態(ホールド・アップ)になるだろう。このような経営者や従業員を説得する取引コストは非常に大きいものである。

この取引コストの大きさを考慮すれば、たとえ非効率的であっても伝統的製法に留まることが合理的となる。こうして、合理的非効率、つまり不条理が発生する。ガダルカナル戦で白兵突撃戦法に固執した日本軍は、このような不条理に陥っていたのである。

ガダルカナル戦の日本軍の不条理

ガダルカナル戦は、太平洋戦争における日本軍の陸戦の敗北のターニング・ポイントとして知られている。

戦後の研究によると、この戦いの敗因は、米軍が近代兵器を駆使した効率的戦術に徹したのに対して、日本軍が精神主義にもとづく非効率な夜襲による白兵突撃に固執し続けた点にある。日本軍は3回にわたって当時としては全く非効率的な銃剣突撃を繰り返し、完全に撃滅された。

今日、ガダルカナル戦では、1回目の白兵突撃作戦の後、日本軍はすぐに戦術を変更すべきであったとか、できるだけ早く撤退すべきであったとか、いろいろと批判的に議論されている。

しかし、当時の日本軍は白兵突撃戦術を簡単に放棄することはできない状況にあった。というのも、日本軍は、日露戦争以来、この戦術をめぐって、特殊な研究開発、特殊な教育、特殊な設備、特殊な人事、そして特殊な組織文化の形成に多大な投資を行ってきたからである。

それゆえ、この陸軍伝統の白兵突撃戦術を、一夜にして変更し、放棄すれば、多くの利害関係者はお手上げ状態になってしまうのである。したがって、この利害関係者を説得する交渉・取引コストは大きいものだっただろう。

このあまりに高い取引コストを考慮にいれると、白兵突撃戦術の変更はほとんど不可能だったのであり、撤退できなかったのである。むしろ、かすかな勝利の可能性さえあれば、たとえ白兵突撃が非効率であろうと、それを維持した方が合理的だったのである。

このような合理的メカニズムが、ガダルカナル戦での日本軍の非効率的戦術への固執行動の背後に潜んでいたのである。このガダルカナル化現象が、現代の東芝にも発生しているように思える。

東芝に発生した不条理の構図

東芝のガダルカナル化は、10年ほど前から展開された半導体と原子力への選択と集中戦略にはじまる。東芝は、この戦略のもとに、2006年、約6,400億円という多大な資金をつぎ込んで、強引に米国の原子力発電事業会社ウエスチングハウス(WH)を買収した。

専門家は、この買収額は割高だとみなし、批判的であった。こうした空気を読んで、買収後、東芝は2015年までに原子力発電事業の売上高を1兆円とする事業計画を公表した。しかし、その事業計画は予定通りには進まなかった。周知のように、リーマンショックが起き、さらに2011年には福島第1原子力発電所事故が発生したからである。

日本では、安倍政権のもとに、事故後も原発を再稼働することが大前提となっているが、米国の状況はまったく異なっていた。

原発事故後、米当局によって安全基準が厳格化され、その基準を満たすために原子力発電所の建設コストは一気に高まった。それゆえ、米国内ですでに建設中だった原発4基も、設計の変更が余儀なくされ、建設コストは大幅に増大、こうして、東芝が買収したWHは赤字に転落した。 

この時点で、東芝は原発事業が儲からない事業であることを明確に認識したに違いない。しかし、東芝は原発事業から撤退することなく、2015年12月、さらに原発事業の効率性を高めるために、機器から工事までの垂直的一貫体制を確立する必要があると考え、米国の原発建設会社「ストーン・アンド・ウェブスター」(S&W)を買収した。

ところが、この会社は700億円の負債を抱えていたのである。この大失敗によって、東芝はこれまで白物家電事業や医療機器事業を次々と手放し、まさにいま最大の収益源である半導体事業の売却に迫られているのである。

東芝が、原発事業に固執しなければ、現在のような悲惨な事態には陥らなかったのである。おそらく、東芝の経営陣も、ある程度、米国の状況を理解できていたはずである。しかし、なぜ方針を変更し、原発事業から撤退しなかったのだろうか。

東芝の経営陣が原発事業に固執し続けてきたのは、これまで述べてきたように、この事業に莫大な特殊な投資をしてきたからであり、もし原発事業から撤退すれば、その特殊な投資はすべて無駄になり、この事業をめぐる多くの利害関係者がお手上げ状態に陥るからである。それゆえ、原発事業を放棄する場合、彼らを説得する取引コストは膨大なものとなる。

特に、最大の利害関係者は日本政府であり、政府と手を組んできた東芝の経営陣である。安倍政権は、これまで原発ビジネスを「国策」として位置づけ、2016年の参議院選の公約として「インフラ輸出」を掲げた。その柱の1つが原発輸出だったのである。そして、この政府の成長戦略に深く関わってきたのが、東芝の経営陣なのである。

さらに、最近では、この利害関係者1人として雇用創出に強い関心をもつ米政府が新たに加わってきた。トランプ新政権は、もし東芝が原発事業から撤退し、WHを倒産させれば、最大3万6,000人以上の雇用消失が発生することを懸念し、日本政府および東芝に事業継続に向けた協力を求めているのである。

このような利害関係者との膨大な取引コストを考慮し、合理的に損得計算すれば、議論の余地のない共通の結論に至ることになる。すなわち、東芝の経営陣にとっては撤退しない方が合理的だったのである。こうして、東芝の経営陣は、いまもガダルカナル戦での日本軍のように撤退できない状況にあるのだろう。このような状況のもとで、大本営が嘘の発表を行ったように、東芝もまた不正な会計報告を行い、ガダルカナル島で多くの将兵が無駄死にしたように、東芝でも多くの日本人従業員が解雇される可能性が高まってきているのである。

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