「人材サービス総合研究所」が社是として仰ぐ、「敬天愛人」について、その由来、解釈、実践などを解説します。
■「敬天愛人」の由来
「敬天愛人」という言葉は、一般には、西郷隆盛(西郷南州1828-1877年)によるものとして知られています。西郷隆盛が、晩年、1877年の西南戦争に先立つ1875年ごろに来訪者のために、「敬天愛人」と揮毫したことからそのように捉えられているようです。
一方、それより200年ほど遡ると、清の康煕帝(1654-1722年)が1671年に「敬天愛人」と書かれた扁額をキリスト教会に与え、後に「天」の解釈をめぐり物議をかもしたとされる記録もあります。
また、明治時代の思想家、教育者、文学博士である中村正直(中村敬宇1832-1891年)が、1871年に刊行した訳書「西国立志編(自助論・Self Help/サミュエル・スマイルズ)」で、二つの文章の中に「敬天愛人」の言葉を用いた翻訳をしています。
「国会議員たる者は、必ず学明らかに、行い修まれるの人なり、敬天愛人の心ある者なり、己に克ち、独りを慎しむ工夫ある者なり」
「自主自立の志あり、艱難辛苦の行ないあり、敬天愛人の誠意に原づき、もってよく世を済い、民を利するの大業を起こし…」
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「西国立志編」は、当時、福澤諭吉(1835-1901)の「学問のすすめ」に匹敵する100万部を超えるベストセラーで、「天は自ら助くる者を助く」という名訳が残されています。
中村正直は、さらに1872年に著書「敬天愛人説」で「敬天愛人」について以下のように記述しています。
「天は、我を生ずるもの、乃ち吾が父なり。人は、我と同じく天の生ずる処と為す者、乃ち吾が兄弟なり。天其れ敬せざる可けんや。人其れ愛せざる可けんや」
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時間的な順序で言えば、康煕帝、中村正直、西郷隆盛の順ということになりますが、なんらかの影響があったのか、偶然に同じく「敬天愛人」という言葉を考案したのか、あるいは、当時すでに一般的に広く使われていた言葉なのかは明らかではありません。
強いて言えば、中村正直は、江戸時代の儒学者、佐藤一斎(1772-1859)の直弟子であること、西郷隆盛は、佐藤一斎の著書「言志四録」を愛読していたこと、さらに中村正直は、森有礼、福沢諭吉、西周らと1873年に「明六社」を結成し、そこに勝海舟(勝安芳1823-1899)も加わっていたことから、勝海舟を介して西郷隆盛が中村正直からなんらかの影響を受けた可能性もあると言えるのかもしれません。
筆者の祖先に、阪谷素(阪谷朗廬 [動画] 1822-1881)という西郷隆盛とほぼ同時代を生きた漢学者、儒学者、教育者がおり、「明六社」の定員(中核となる会員)として加わっていました。
「明六社」の機関紙「明六雑誌」は、明治維新後の文明開化に大きな影響を与えたとされ、掲載された論説156稿のうち、阪谷素が3番目に多く20稿、中村正直が5番目の11稿を寄稿。43号まで発行された「明六雑誌」のうち4回にわたり中村正直と阪谷素が同じ号に掲載され、民撰議院設立などについて論じているのは興味深いものがあります。
ちなみに、阪谷素は、元大蔵大臣、東京市長、法学博士、専修大学学長の阪谷芳郎 [動画](1863-1941)の実父であり、阪谷芳郎の妻となった渋沢栄一(1840-1931)の次女、琴子の義父でもあります。
また、阪谷芳郎は、我が国の民間航空の振興のために創設された帝国飛行協会の副会長(後に会長)でもありました。KDDI株式会社に筆者が勤務していた当時、恭敬する稲盛和夫氏と僅かながらも接することができたこともさることながら、稲盛和夫氏が、JAL(日本航空株式会社)の再建を果たし、航空振興に尽くされたことに不思議な宿縁を感じるものがあります。
■「天」が意味するもの
「敬天愛人」の中で注目すべきことは、「天」とは何かということです。康煕帝がキリスト教会に扁額を与え、物議をかもした話を持ち出すまでもなく、「天」をどう解釈するかで「敬天愛人」の意味はまったく違うものになってしまいます。
「天」一文字だけを見れば、「空」「宇宙」とも取れますし、「天界」「あの世」「死後の世界」などの想像の世界とも取れます。キリスト教では「天主」あるいは「天国」ということになるのでしょうか。信仰の対象として「神さま」「仏さま」も同様でしょう。「天気」「天候」または「太陽(お日様)」などの自然を表すこともありますし、「天皇」「皇室」「皇帝」といった権威を表すこともあります。「天地」から派生した「上」を意味することもあるでしょう。
京セラ株式会社を創設し、社是に「敬天愛人」を掲げた稲盛和夫氏は、朝晩、仏さまに「なんまん(南無阿弥陀仏)、なんまん、ありがとう」と拝むと仰っており、欧米に行っても、キリスト教の教会やイスラム教の寺院に入っても、両手を合わせて唱えられるそうです。臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた稲盛和夫氏は、宗教を問わず、「天にいらっしゃる神さまは全部同一だと思っている」とも仰っており、「敬天愛人」にある「天」には、我が国古来の「八百万の神」、あるいは「人を超えたなんらかの存在」と捉える概念を思想として持たれているように思います。
筆者は、KDDIに勤務当時に会長だった稲盛和夫氏からのご教授を踏まえたうえで、「敬天愛人」を中国の故事「中庸」にある「誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり」になぞらえ、「森羅万象の道理に従い誠をつくすことが、人が人として生きる道」であると捉え、「天が私たちを慈しむのと同じように、人びとを愛し、人びとが集う社会へ貢献することが私たちの天命」であると解釈しています。
つまり、稲盛和夫氏からご指導いただいた「原理原則に基づくこと」「人として正しいこと」が、誠実さを意味する「誠」であり、すなわち「天」なのだということです。
儒教で説かれる五徳(五常の徳)に「仁・義・礼・智・信」とありますが、筆者は、人として正しいこととは、これらに基づくことであろうと考えています。
「お天道さまが見てる」と言います。たとえ誰かが見ていなくても「人を超えたなんらかの存在」であるお天道さま「天」がどこかから見ていて、公明正大な審判をくだしているということでしょう。どのような状況にあろうとも裏表なく常に真摯であることこそが人としての天の道であり、天を敬うことそのものなのだろうと思います。「天は自ら助くる者を助く」にも通ずるものがあります。
科学的には「人を超えたなんらかの存在」にまったく説明がつかないものの、思想としてそのような天の道を歩み、「天」を敬うことと同じように「人」を愛することこそが、人として正しいことなのではないでしょうか。
前述の阪谷素の他にも、祖先に昌谷精渓(1792-1858)、山鳴大年 [動画](1786-1856)、坂田警軒 [動画] (1839-1899)など多くの儒学者、漢学者、医学者をもつ筆者にもそのDNAが組み込まれているのであれば、その思想を大切に受け継ぐとともに、世界孔子協会から孔子文化賞も受賞した稲盛和夫氏に、多少なりとも人としてあやかりたいものです。
■「敬天愛人」の実践
「敬天愛人」の扁額をキリスト教会に与えた康煕帝、洋書にある文章を「敬天愛人」と翻訳した中村正直もさることながら、「敬天愛人」を自らの傍らに置き、それを実践したことで知られる西郷隆盛には、際立った力強さを感じます。
鹿児島出身の稲盛和夫氏が西郷隆盛の「南州翁遺訓」に学び、「敬天愛人」の言葉に影響を受けられたであろうことは間違いありません。したがって稲盛和夫氏の「敬天愛人」に対する解釈は、「南州翁遺訓」に基づくことになるでしょう。
敬天愛人(「南州翁遺訓」より)
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛する也」 (現代訳) 「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」(西郷南洲顕彰会) |
稲盛和夫氏は、京セラの社是に「敬天愛人」を掲げ、自ら「フィロソフィ」を実践しているという点で、まさに西郷隆盛の思想を継いでいると言えます。
JALの再建を果たした後の雑誌のインタビューで、再建を引き受けた時の思いとして、以下のようなコメントをされています。
「JAL再建の失敗は、私が創業した京セラやKDDIで働く人の名誉にも関わってくる。『京セラやKDDIはたまたま成功したかもしれないが、JALはあんなざまではないか』と言われたのでは、京セラ、そしてKDDIを一緒に築いてきた社員にも申し訳ないとの気持ちが強くありました」
KDDI在職中に稲盛和夫氏と接し、その後も「KDDIフィロソフィ」を拠り所としてきた筆者にとっては、涙するほど感動的なコメントでした。
人は誰しも心に弱いものをもっています。立派な言葉を掲げ、その言葉を虚心坦懐に正しく解釈し、実践し続けることが難しいこともあるのではないでしょうか。心を高め、実践しつづけることこそ社是としての意義であり、尊いことであろうと思います。
■ 社是「敬天愛人」
西郷隆盛が「敬天愛人」を座右の銘としていたことは、筆者も子どものころから伝記を読んで知っていました。日本史が好きだったこともあり、多くの伝記を読みましたが、その中でも不思議と「敬天愛人」の言葉は深く心に残っていました。
それに加え、KDDIに入社以降、稲盛和夫氏の影響を強く受けることで、「敬天愛人」が非常に身近な言葉となりました。同時に「利他の心」の大切さについても学び、「世のため人のため」に働くことこそ生きる意味であると考えるようになったのです。「人」のためにサービスを提供し、社会に貢献する人材サービスこそ文字通り「敬天愛人」の言葉にふさわしい事業であると考えています。
佐藤一斎に「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」という言葉があります。
人びとが働きがいや生きがいを得ることで幸福な日々を感じられるよう支援するとともに、明日の社会を心豊かでより良きものとすることを「人材サービス総合研究所」の創業の原点として肝に銘じ、悠久の羅針盤とするための「一燈」として「敬天愛人」を社是としたものです。
(人材サービス総合研究所所長 水川浩之記)