9月27日に開催された「働き方改革実現会議」から一夜明け、新聞各紙からの記事が出そろいました。
昨日、開催されることは私も知っていたので、むしろその内容についての情報を集めることに一所懸命になってしまいましたが、改めて客観的に内容を見てみると必ずしもよいことばかりではないような気もしてきました。
「塩梅(あんばい)」という言葉がありますが、今回「働き方改革実現会議」で議論された内容がどのようなカタチで来年3月までに法案、政策に反映されるのか、その塩梅次第では我が国の経済そのものが危うくなるということもあるのではないでしょうか。
働き方改革そのものに異議を唱えるものではありませんが、どのように改革するのかという”How”が非常に重要なフェーズに移っているのだと思います。
■ 長時間労働、どう是正?
注目されている長時間労働ですが、安倍首相は「長時間労働を是正すれば、ワーク・ライフ・バランスが改善し、女性、高齢者も、仕事に就きやすくなります」と言っています。
たしかに無尽蔵に使用者が労働者に長時間労働を強いることは問題です。統計上は全体的には長時間労働はかなり削減されているものの、いわゆる正規と非正規の間には大きな差があります。
非正規雇用での長時間労働は大きく削減している反面、正規の長時間労働は変わらないというのが実態です。
また解雇の問題と同じで、大企業では36協定にしたがった運用がほとんどである反面、中小企業では無尽蔵な時間外労働が横行しているという側面もあります。
そんな中で長時間労働について思いつくままに書いてみたいと思います。
■ 長時間労働が必要なときもある
私自身、若いときのことを振り返ると、「用がなければサッサと帰る」「上司や先輩がいても遠慮なく帰る」「帰りづらい雰囲気の職場でも帰る」「プライベートで優先したいことがあればもちろん帰る」、そんなタイプでした。
ただし帰宅したとしても、それは会社にいないだけで、家でも仕事に関係する勉強はしていたし、休みの日でも仕事のことを考えていることも多かったように思います。
もちろん、やらなければならないことを放っぽらかして帰るようなことはしませんでしたが、「必要なことは成果だ」と偉そうなことを言っていたぐらいだから、生意気なヤツと映っていたに違いありません。だいぶ丸くなりました。
一方では、新規事業に関わったとき、新たなプロジェクトに取り組んだときにはそれこそ寝食を忘れて仕事に没頭し、残業100時間は当たり前というぐらい働いていたこともあるし、むしろそれを楽しんでやっていたことも多かったと思います。
また、何かを任せられたとき、責任のある立場になったときには、職責を全うするために部下や同僚の報告や相談を受けながら、ふと気がつくと自分しか残っていないということもしばしば。裁量労働であっても実態としては長時間労働であったことも多かったと思います。
ワーク・ライフ・バランスは、ある一日を捉えてバランスさせるよりも、一定期間を捉えてバランスさせるという方が合理的なように思えます。そもそも仕事と生活を半々にバランスをとるという意味でもないですから、「女性、高齢者も、仕事に就きやすくなる」というのは、少々論理の飛躍ではないかとも思います。
■ 長時間労働が人を育てる
決して過度な長時間労働を肯定するわけではありませんが、こういう場合はどう考えたらよいのでしょう。
勤勉な日本人は真面目に一所懸命働いて、我が国の経済を支えてきました。人が成長する過程で、一時期、特に若くて気力も体力もみなぎっている時期に仕事に打ち込む、試行錯誤を繰り返しながら経験を積む、一つのことを考え抜く、仲間と同じ時を過ごしながら知識を分かち合う、そのようなことは決して無駄ではなく長い職業人生の中で本人の財産になっていくことも多いように思います。
人材育成の観点から考えると働けるときに一心不乱に働くということがあっても悪くないのかなと思ってしまうのです。ことを成した偉人といわれる人はほぼ間違いなく集中して取り組んだ結果であることが圧倒的に多いのではないでしょうか。
ビジネスマンも若いうちに切磋琢磨して知識、経験、技術を身につけたからこそ、年をとって身体が動かなくなってもそれを元にマネジメントができるということが言えるのではないでしょうか。
モーレツという言葉は使わないにしても、やはり高みを目指して頑張ることは必要で、それを「モーレツ社員の考え方が否定される日本にしていきたい」と言ってしまっては、「2位じゃだめなんですか?」と同じことになってしまうのではないかという危惧もわいてしまいます。
■ 欧米人もよく働く
私がドイツに海外駐在をしていたころ、会社のビルがあった地域には、名だたるグローバル企業が集まっていました。
毎日のように夜の9時10時でも煌々と電気が点いている企業も多く、彼らも猛烈に働いているという印象が強くありました。日本人だけでなく、要はやるヤツはやっているのです。
「エリート」という言葉はあまり好きではありませんが、欧米のエリートはとにかく働きます。
日本に長期出張にきた外国人と数か月間一緒に働いたこともありますが、朝の9時を過ぎても連絡もなく出社しない。当たり前のように10時過ぎごろになって出社し、机でバナナを食べている彼に「遅刻をするな。9時までに出社しろ」と言ったら、「この資料をつくるために昨日は夜中の2時過ぎまで仕事をしていた」というのです。その資料の完成度の高さをみたらそれ以上何も言えなくなったことを覚えています。
日本では仕事の成果よりも規律を重んじる風潮があるということでしょうか。規律を乱すことは善いことではないと思いますが、裁量労働、ホワイトカラーエグゼンプションといった約束事のもとに成果を重んじれば、生産性はあがるということなのだと思います。
働き方改革実現会議では、「残業代ゼロ法案」とレッテルを貼られたホワイトカラーエグゼンプションは含まれていません。逃げることなく改革につなげてもらいたいものです。
■ 正しい業績評価の必要性
もちろん「用もない」「差しあたって必要なこともない」のに定時になってから張り切って残業をするというパターンもあります。長時間労働でしか評価がされないということなのでしょう。
私の観察でも実力のない上司に限って、時間で評価をする傾向が強かったように思います。当然ながらそういう上司の下では、何の遠慮もなく帰る私への評価も低いということになるのですが、その観点でいうと日本の雇用慣行は終身雇用、年功序列に胡坐をかき、きちんと仕事の成果を評価することを怠ってきたのです。
評価の問題はこれから長時間労働の是正をしようとする企業にとって、非常に重要な問題になっていくのではないでしょうか。少なくとも私が評価者の立場のときには、成果があがらず労働時間が長い部下を評価することはありませんでした。成果が大きい部下が長時間働いた場合は…それは掛け算ですからもっと成果があがるということになるのでもちろん評価はしましたが、それも程度問題ですね。
時間ではなく成果、それはその通りだと思います。タイム(時間)でもアウトプット(結果)でもなくアウトカム(成果)。その評価をきちんとできる企業は、長時間労働の是正と生産性の向上の両方を手に入れるのだと思います。
■ 社会の構造的な歪み
「様々なことが長時間労働の上に成り立って、様々な商慣行があり、労働慣行もできている」ということが安倍首相のコメントの中に含まれていましたが、まさにコンビニはその代表格です。
7時から11時の営業時間がいつの間にか24時間営業となり、夜中にまったく客がない地方の店舗でも24時間営業を強いられている。
一定時間おきに納品があり、そのためのドライバーも24時間稼働。弁当・惣菜の工場も24時間交代制。近隣の店舗も競争上24時間営業に切り換え。便利さを追求しすぎて世の中が人間的な便利さを失う連鎖です。
社会全体がそうなのだからコンビニだけを責めるわけにはいきませんが、そうしなければ世の中が回らない日本はやはり病んでいるのかもしれません。
■ サービスへの考え方
もともとの基本給が低く設定されているために残業をしなければ生活が苦しいということもあるのだと思います。国際的に見ても日本は基本給が低いような気がします。
時間外勤務手当について「サービス残業」という言葉がありますが、日本ではサービスはタダという考え方がいつまでたっても消えない証拠ではないでしょうか。
第一次産業から第二次産業へ、第二次産業から第三次産業へと産業構造が転換されているなかで、いつまでもサービスがタダという感覚が残っていることが社会的に遅れているように思います。
長時間働かなければ相応の賃金が得られない構造になってしまっているのです。
スマイルはタダかもしれませんが、そこで提供された「おもてなし」については相応な対価が支払われるべきという考え方をもてるよう政策的に誘導することが必要なように思います。
コンビニは便利さというサービスを売っているのだから値引きはしない。これは正しいですね。
夜でもモノが手に入るのだから「夜間料金はn%増しです」でもよいのではないでしょうか。もちろん深夜料金もアリです。タクシーと同じです。
本来、人材サービスもそうですよ。必要なときに必要な人材を紹介するのだから、常用雇用の労働者よりもサービス料を含め賃金も割高でよいはずです。人選するまでの期間が短ければ特急料金でよいはずだし、それに応じられる人の賃金も高くてもよい。
やはり人材サービス業界全体がサービス業なのだという意識を高めることが必要でしょうね。
にもかかわらず「マージン率の開示」のようにサービス業の本質にあたることに逆行するような法律をつくること自体がどうかしています。
サービスが良ければ多く利益を得ればよいでしょうし、悪ければ利益があがらない。それだけです。
■ 営業時間規制をしてみれば
昔はドイツでは店舗の営業時間は規制されており、規制上は7時から18時半まで、一般的には朝9時、10時から夕方17時まで、土曜日は午後2時までだけ営業、日曜日は休み。飲食店を除き、かろうじて営業しているお店は駅と空港とガソリンスタンドだけでした。
要するに、飲み食いさえできれば他の買い物は決まった時間にすれば死ぬことはない、という考え方ですね。
最近はかなり規制が緩和されたようですが、それでも長い間の習慣からそれほど浸透しているわけではないとも聞きます。日曜日は相変わらず休みのようです。
労働者保護と小規模事業者の保護が規制の理由とされていますが、根底には宗教的な考え方があり、日曜日は安息日だから仕事をしてはいけないというものがあります。しかし、理由はどうあれ日本と肩を並べる経済大国のドイツ社会はこれで国がまわっているのです。
ヨーロッパの他の国も概ね同じような規制があり、たまたま日曜日に観光にいってもお土産さんもあいていないから面白くないという話もあります。
早く帰らなければ買い物もできないのだから、社会全体がそうなれば、みんな早く帰りますよね。そう言えば私の秘書もたまに4時過ぎに帰ってました。当たり前を疑ってみるということも必要ではないでしょうか。
■ 「世界に一つだけの花」の芽をつまないように
長時間労働是正についてつらつらと思いつくままに書いてしまいました。敢えてアンチテーゼとなるようなことも採り上げてみましたが、「働き方改革実現会議」でいっているようなことだけで本当に是正できるのでしょうか。
大きな視点でこの問題を採り上げるならば、まずは「人としてのあり方」を問うてみることが必要な気がします。
必要以上に働かなければ生きていけない社会が本当に正しいのか、太古から続いてきた人の営みに反する今の社会の構造がよいのか、そんなことを考えることで解決の糸口が見つかるような気がします。
日本は高度経済成長のプロセスのどこかで道を誤ってしまったのではないかと思います。決して簡単ではありませんが、絡まった糸を解きほぐす作業が必要ではないでしょうか。
また、企業経営の視点で採り上げるならば、問題は使用者となる会社が強制すること、あるいはそれが美徳であるかのようなことが企業文化として根付いてしまうことに問題があるように思います。
メリハリというかなんというか、労働者にそんなことを考えられる裁量が与えられていれば、人は育つし企業も繁栄するというのは、おかしな話ではないように思います。自由主義社会で1番を目指すことは当然です。
規模の経済で1番になることばかりが重要なのではなく、どんなに小さなことであっても1番になるための努力は必要ではないでしょうか。「世界に一つだけの花」の芽をつむような法規制はするべきではありません。
残業を減らせと言いながら、どうやって減らすのかを考えない経営者と同じことにならないように願いたいものです。
重要なことは本人の納得感。もちろん本人が納得していれば死ぬまで働いてもよいというわけではありませんが、そこの塩梅は労使で決める。政府が過剰に口出しをすると企業の活力が低下し、経済そのものが下降し、結局雇用を失うということにもなりかねません。
規制は締め付けすぎても緩めすぎてもよい結果を生まないのではないでしょうか。いい塩梅の落としどころを探ってほしいものです。
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